薬王寺温泉発祥の由来

 

 

薬王寺霊泉の伝説

 

 薬王寺鉱泉の発見者は福岡県嘉穂郡出身の古書神学の研究家、清水大晃氏で又非常な信仰家でもありました。

氏は古書に

「空海上人が平城天皇の勅命に依り筑紫の不老不死の薬泉を以て難病業者に実験し効験顕著なりき」

とあるのを読み、この筑紫の薬泉を探究する内、大正7年春、薬師如来の御宣詫によりこの地に霊泉があるのを知りました。
そして苦心して井戸を掘ること数度にして遂にこの薬泉の湧出を見たのです。
(快生館中央薬師如来堂横の井戸)

  直ちに九州大学医学部に依頼分析したところ、果然放射泉(ラヂウム)として屈指の優秀泉として折紙を附せられましたが、何分にも猿、鹿等の出没する山野なので人家とて少なく苦心の末先ず病人に試験入浴させたところ、効験確実なので浴場施設を急ぎましたが遺憾にも大正9年、事志と違い中止のやむなきに至り遂には希望の実現も困難となりました。
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 この里は、昔より清らかな谷川をはさんで、三方、山に囲まれ、春は桜、秋は紅葉と絵に見る様に美しい平和な山里でした。

  ある日、この地に医主尊王薬師如来の尊像を背負い鬼王、京王という二人の子供を連れた、一人の立派なお侍がこの里にたどりつき、心優しい里人の情にほだされて、この地に住みつくことになりました。
実はこの侍は清和天皇の御子孫で、代々多田の城主という身分の高い人でしたが、故あって都を追われる身となったお方でした。八久保の雪がやっと解けはじめた八年目の春、この侍は不意に腹痛をおぼえ、重い病の床に伏してしまいましたが、ある夜、日頃信仰する薬師如来が夢枕に立たれ

「この山里の谷川に薬水を流す。これを浴びるもよし。飲むもよし。必ず病は癒えるであろう。」

とのお告げがあったので、早速その通りにしてみますと、不思議な事に拭う様に病が癒え、同時に鬼王が何となく不思議に感じていた事であるが、父が病の床についた頃から、毎日家の前の谷川に来ては水を浴びていた一羽のやせ衰えた鷹も、元気よく飛び立って行きました。鬼王からその話を間いた父は、

「この鷹こそ薬師如来の化身であって我々に暗示を与えていたのに違いない。有り難いことだ。」

と言って、それ以後、近くにある清瀧寺に出家し、墨染めの衣をまとってひたすら精進をした後、里人の勧めにより小さなお寺を建てて、薬師如来をまつり『薬王寺』と名付けたそうでございます。

  その後、永い間に、お寺は朽ちてしまいましたが、薬王寺と言う名前は、いつの間にかこの山里の名前となって残り、また霊泉は今日に至るも尚こんこんと湧き出て、病に苦しむ人々から無限の信頼を受けているのでございます。
神功皇后三韓征伐の折、みそぎの地として知られております。

粕屋要録より

 ※ 平成3年度から古賀町教育委員会(当時)により行われた、薬王寺跡の発掘調査により礎石や瓦、瓦窯などが出土しました。さらに、遺跡が平安時代の古い山岳寺院の跡であることがわかりました。

 ※ 江戸時代の学者、貝原益軒の著書「筑前國繽風土記」にも、薬王寺跡から古い瓦が出土することが書かれています。

石碑
  そこでこれを当快生館初代主、大櫛大之助に委譲し、大正14年4月正式官許を得て開業に至りました。その霊験のあらたかさは全く霊泉の名を恥ずかしめず、内地はもとより遠く朝鮮、満州より多くの難病者が入浴に訪れ、遠くまで薬王寺温泉の名を成し親しまれました。昭和28年以来旅館も増し、今日の様に数館をかぞえ盛況を見る様になりました。
薬師堂
※薬王寺温泉発祥の由緒ある薬師堂